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PROJECT FUKUSHIMA 活動報告会レポート

2011年8月16日 15:30 平野 友康さん作成(Facebookより転載

 

出席者(写真右より順に):

  • 遠藤ミチロウ(音楽家)
  • 和合亮一(詩人)
  • 大友良英(ギタリスト/ターンテーブル奏者/映画音楽家/プロデューサー)
  • 坂本龍一(音楽家)
  • 木村真三(放射線衛生学者)

2011年8月16日、午後1時10分、福島市内、プロジェクトFUKUSHIMA!事務局。

会見会場に満員の記者、多くのカメラ。

やや緊張した面持ちで入場する発起人たち。

プロジェクトFUKUSHIMA!について:

http://www.pj-fukushima.jp/project.html

公式Facebookページ

遠藤(以下、敬称略):

昨日の<プロジェクトFUKUSHIMA!>のフェスティバルでは、本当に暑い中でしたが、熱中症で倒れる人もなく終わることができました。みなさま、ありがとうございました。無事に終わってよかったです。

和合:

今日は朝から心地よい満足感で過ごしてます。実はこの会場に来る途中も町を歩いていたら、町の方から「おつかれさまでした!」と声をかけていただきました。このプロジェクトを町の方々に可愛がっていただいたのだなと思うと、うれしい気持ちでいっぱいです。

大友:

それでは、昨日のイベントの活動報告をいたします。

四季の里が延べ9000人、球場4000人、イベント全体の合計で13,000人の方々にご来場頂くことができました。なお、この数字につきましては無料のフェスですので、通常のように入場チケットなどで正確に計算することはできないので、概算となります。また、インターネット中継の<Dommune(ドミューン)>では、25万人(最大瞬間視聴者数6,541人)でした。こちらは正確な数字です。オーケストラのステージでは230人ほどが参加し、お客さんも入れると1000人越えの大楽団だったと思います。大風呂敷的ですが(笑)。下は4歳から上は還暦越えまで。

ほかにも、今回のフェスは世界同時多発ということコンセプトで、国内の様々な場所で大小様々な連動イベントが行われました。私たち事務局が把握しているオフィシャルなイベントだけでも、世界中で90カ所で開催されたようです。

また、このフェスの広がりということで申しますと、会場に敷き詰めた大風呂敷を送ってくださった方たちだけでもものすごい数になります。それこそ風呂敷を縫うようにつくられたフェスティバルだと感じています。出演者のみなさまも無料で、交通費すら払っていない。地元福島の業者さんには払っているケースもありますが、東京から来られた音響などをはじめとするスタッフの皆様も手弁当で参加してくださいました。そんな感じで、本当に手作りで運営されたフェスティバルででした。

私自身は、これは福島だけで完結するものではなく、これからの日本全体を考えたフェスティバルだったと思っています。ご協力くださった皆様、ご来場頂いた皆様に、改めて心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

坂本:

僕がなんでこれを参加することになったかというと、大友くんからある日、「こういうことを考えてやろうかと思ってるんだけど」というメールが届いたんですね。それで僕は「一も二もなくやるべきだ!」とすぐに返事しました。そのときから「僕にできることがあればなんでも協力する」と伝えていましたので、昨日も滞在先の京都から直行で福島に駆けつけました。

実はね、会場に来るまで何をやるのかすら、よく分かってなかったんです(笑)。昨日はそういう状況で大友さんと和合さんと即興をしまして。もちろん、和合さんが詩を読むということは分かっていましたし、和合さんの活動はツイッター越しで読んでいたので、馴染みはありました。でも本番直前にステージにあがる瞬間まで、結局どういうことになるか、分らなかった。だから「とにかくやってみよう!」でステージに登ったんです。

来てくださっていた会場の方々が1時間近く直立不動でこちらを見つめていたのが印象的でしたね。和合さんの力が大きいと思います。みんな、こちらを向いて真剣に聞き入ってくれて。そして僕らの前に集まるたくさんの人々の向こうに広がる自然に目を奪われ、山が連なり、その先に雲が動いていて・・・そこからも多くの刺激をもらって演奏した気がしています。

僕は和合さんの時に激しいパフォーマンスに感化され、火がつけられまして、自分の年齢を忘れて、前衛魂が刺激されてですね、初めてピアノ線で指を切りまして(会場、笑)。

結果的にとても楽しかったし、達成感もあったし、言葉と音が対等に向き合う感じと言えばいいんでしょうか。言葉に寄り添いすぎるのでもなく、だからと言って音が勝ってしまうでもなく、馴れ合いでもなく、3人が独立に存在していながら対等にやりたい音を出す、ということが出来たんじゃないかな、と。それは、とても素晴らしいことだったと思います。

木村:

わたしは放射線衛生学者という肩書きで参加させていただきました。地表1mのところで最大0.58μSv/h、地表では0.69μSv/hだったと思います。この数字を決して低いとは言いませんが、12時間あの会場にいても、一日で浴びる線量としては、私自身は健康に問題ないと自信をもっていえる数字です。さらに大風呂敷で地表面を覆うなどして少しでも地面に触れないようにしていましたので、まさに風呂敷がつなぐ、私にとっても、除染という意味でも画期的なことだったと思っております。

ちなみに私が「来年もこのフェスをやりたい!」と言ったら、「また縫うんですか?」と言われまして(笑)。それほどに縫う作業は大変だったわけですが、私自身は、来年も考えていきたいと思いますし、全国に広がる放射能汚染ということを考えても、このプロジェクトが発端になって多くの人が知識をつけるきっかけになればいいなと思っております。

大友:

この<プロジェクトFUKUSHIMA!>というプロジェクトチームは、このフェスティバルのためだけに立ち上げたわけではありません。

そもそもは、不名誉な名前になってしまった<FUKUSHIMA>をポジティブに変えなければという思いでスタートしました。もちろん、それはそんな簡単なことではないと思っています。単なるイメージアップの話でもない。

二度とこういう事故を起こさないこと。これ以上被害を広めないこと。やるべきことはたくさんあります。

そんなプロジェクトに、詩人、パンクミュージシャン、詩人、学者、しかも側に坂本さんが控えてくれている。

行政ではなく僕らができることは何か。<プロジェクトFUKUSHIMA!>でやることは、今回のフェスのように、目立つことばかりではありません。地味な活動になると思いますが、和合さんは福島市民のみなさんと詩をつくる学校をやり、私は音楽を作る学校を、木村先生は市民科学者養成講座をやっています。

福島の中でどうやって生きていくか。セシウムが多い中でどう暮らしていけば良いのかを、日々の活動の中で考えて、前に進んでいきたいと思っています。

そういう地味な活動の中で、年に一度は大きなお祭りをやりたい。それが、今回のフェスティバルです。

プロジェクトメンバーの中には、東京の人もいますし、福島の外と内を繋ぐこと、いろいろな所にある<扉>を開けていくことこそが、自治体ではない僕らなりのこのプロジェクトの役目かな、と思っています。

ちなみに昨日のフェスには福島市長も来てくださいました。木村先生をご紹介しました。こうして<扉>を開けると、今後いろいろなことが起こっていくのだと思います。なお、今回の実施にあたっては県や市から援助をいただきました。あらためてありがとうございます。今後、側面から行政にかかわることもあるだろうし、文化の面からできることを模索していきます。これは、とても息の長いプロジェクトです。1年、2年のスパンで考えるのではなく、NPO法人化もあると思って準備を進めています。

和合:

坂本さん、大友さんとの即興のステージでは、まったく打ち合わせをしておりません。大友さんとは過去3回やりましたが、一度も打ち合わせをしたことがありません。これからもきっとないであろう、と(笑)。私の中で震災後に、そして昨日のステージの後に大きく変わったことがあります。その場で感じたことをありのままに伝えたい、と思うようになりました。昨日も原稿を用意していたんですが、途中から即興で朗読するようになりました。会場のみなさんがこちらを見つめる眼差しがまっすぐにステージに集まって、そのエネルギーの渦がこちらに向いてくる感じ。そこに自分の気持ちも<交ぜてもらうような気持ち>で朗読していました。詩の朗読を20年間やってきてはじめて、終わった後に声が出なくなるぐらい高ぶりまして。自分の気持ちの高鳴りを感じながら、教授と大友さんの音を聴きながら、空に目を奪われていました。何かこう、空の美しさに、秘密があるのだな、と気づけたような、そんな気がします。自分の中で記念になるようなステージを、大友さん、坂本さんとやらせていただけて、夢見心地です。

木村:

私がステージで多くの方の前で話すのは、本来学会ぐらいしかないんです。でも今回はそういうのを超えて、みなさんと話ができたって言うことは、みなさんがこの問題について真剣に考えてくださっているということだと思います。さらにフェスということで言うと、ミュージシャンの方は多感だから、こういうアーティストの方々にこそ、正しい知識と情報を伝えていくことと、多くに人に興味を持って欲しいというメッセージを伝えていくことをお願いしたいと思いました。

また、会場にお越し下さった市長さんとお会いしてお話ししました。現状打開策として、除染の話を。私が除染してきた内容を伝えて、廃棄についてどうすればいいのか、など意見交換しました。専門家を入れてやらないと困ることが多い。汚染地図を福島市出しているけど、分かりにくい。一目瞭然に分かるようにしたほうがいいと具体的にアドバイスし、今後アドバイスしてほしいとのことでした。

坂本:

福島の被災された方々について思うことは、他の県と違って、自宅を片付けにすら行けないし、そもそも放射能汚染の大元の事故が収束していないわけですから、長く続いていく大変な状況だと思います。僕がもっと若ければ、一緒に除染作業でも何でもいろいろ手伝えたのにと思っています。

先日、福島県の復興ビジョンが示されました。そういうことについて考えるとき、僕も福島県に住んでいたらと想像するんですけど、僕らな本当に原発はこりごり、放射能は懲り懲りです。多くの方もその通りだと思っているんじゃないかと思います。原発で潤ったみなさんも、同じく被害を浴びてしまうという今回の事故。それに、<負の責任>を負っていくっていうことは本当に、本当に大変なことです。福島だけではなく、日本一丸となって向かい合っていかないといけないな、と強く思います。

僕は事故の早い段階から、福島は再生可能エネルギーの中心地になればいいな、と勝手に思っていましたけれども、その実現は大変で長い道のりだと思いますが、そうなっていくことを心から願っています。

和合:

昨日、七尾旅人さんのステージを見ていたら、脇のお客さんが語りかけてくれて、「こういうのはじめてです」とおっしゃるんですね。私は「どういうことが?」と聞いたら、「全国の人と地元が一緒になってつくっているっていう想いが見えるイベントなんてはじめてだ」っておっしゃるんですね。こんなフェスティバルははじめてだ、と何度もおっしゃってくれていて・・・。

どこにもない、福島でしかつくれない野外フェスティバルをつくれたんじゃないかな、と思います。お客さんの高まった話ぶりをみていて、それを感じることができました。

今求められているのは、絆。福島ないし日本中で求められている。<感じ方の地図>が大きく変わろうとしているのかもしれません。余震、放射能など、出口が見えない中、<静かな難しさ>と向き合いながら、そこで求められているのはやっぱり<新しさ>なのだなあ、と感じました。新しいもののなかに新しい生き方と考え方があるんだ、そういう空気が昨日は会場に満ちあふれていました。そしてそれをそれぞれに感じることができました。私はそのことを、お客さんの輪の中に入って、感じることができました。

ちなみに私はステージ上で「命!」って連呼したんですけど、会場で歩いているといろいろな方に「いのち~!」って叫ばれまして(会場、笑)。ある意味、言葉の中での一体感というのを感じることができまして、暖かいフェスになったことが本当にありがたかった。今後もこうした活動を続ける一人で居続けたいと思いました。

遠藤:

最初、フェスのタイトルを「原発なんてくそくらえ!」にしようと考えていたんです。でも当然ながら、それはちょっときついんじゃないか?となって(笑)。そんなとき、和合さんが<FUKUSHIMA>だけで行きましょうっておっしゃって、そのときに漠然としていた活動全体が、意味を持ったんです。僕らがやろうとしていることが見えた。言葉ってすごいなあ、って思いましたね。<FUKUSHIMA>がいろいろな意味、いろいろな色を持っていった。言葉を交わしながらやってきました。

でも、僕が一番印象深かったことは、みんな昨日の最後に言う言葉が、ありがとう、だったこと。お客さんが、ありがとうって言ってくれる。出演してくれた人もありがとう、と。もちろん僕も、ありがとう。<FUKUSHIMA>という言葉から始まって、最後に、ありがとう、で終わる。みんながこの日に想いを込めた結果、出てきた言葉が、ありがとう、だった。来てくれた人も、来れなかった人も、あるいはUST越しに来てくれた人たちも、僕らがこういう現実の中で生きているってことを確認しあっていたことそのものが、ありがとうってことだと思っている。一番シンプル、重く、残りました。

坂本:

人間っていうのは、うれしいとき、悲しいとき、怒っているときも、誰かに言いたい。誰かの言葉を聞きたい。そのようにして、集まるものなんですね。で、何かを感じて、少し安心する。今、まだ日本人全体が不安の中にいると思うんです。少しでも聞いて、少しでも安心して、少しでも分け合いたい。僕はそういうことが大切なんじゃないかと思うんです。

大友:

昨日のフェスを見ていて印象深かったことは、雨宿りのときがすごく良かったということです。みんなが集まる傘の中で歌がはじまって、傘の中で会話がはじまったりして、雨も悪くないな、と。雨宿りの中でも、ポジティブな何かが生まれる。雨宿りのような小さな出来事の中でも、何かが生まれる。大きなものと、小さなもの、両方が大切だと思いました。

こんなの見たことない。そういうものができたと思います。朝は、風呂敷をお客さんも含めたみんなで設営していくことから始まりました。なんだか学園祭を思い出しました。放射能汚染というグローバルな問題があり、雨宿りに感じた小さな輪があって。福島に巨大な問題とプライベートなことが同時に起こったということを、何か深く考えさせられる一日でした。

それに出会い。木村先生と出会ってなければ開催は難しかったでしょう。開催しちゃいけないと思っていましたから。今回のことがなければ、遠藤さん、和合さんやみんなとこんなに親密に付き合うことはなかったんじゃないかな。坂本さんには今回のことで、裏で助けていただいて。今までとはちょっと違う。今までと違う日常をつくっていかなきゃいけない。まだまだ始まったばかりの僕らの活動が、これからの希望につながっていけばいいな、と思っています。

(文責:平野友康 /Twitter @dsHirano

・本テキストはクリエイティブコモンズ(再配布・改変自由)でライセンスされます。本文中のプロジェクトの活動に役立つ用途のためにご活用ください。

・文中、口頭での発言を文章にする際に意訳してある部分があります。発言者の意図を出来る限り変えないよう配慮してありますが、発言者自身の意図とは異なる可能性があることをご了承ください。

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